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毎年、夏しか顔を見せないのに、玄関を入ると奥さんの元気な声が
「いらっしゃいませ~」と迎えてくれる「照坊ず」。
(とても、お孫さんがいるとは思えない可愛らしい声)

東京の我が家の近くでは、最近中華とはいっても、特色を売りにしていて、
昔ながらの中華が食べたいなあと思うとき、「照坊ず」が懐かしくなる。


ご主人は東京の有名中国料理店で修業されたと聞いたけど、食材も味付けも抜群。

お値段は、ちょっと高め?だけど、満足感は充分。

1週間の滞在でも、いつも2回以上は顔を出すことにしていた。

夜のコースは前日までの予約のみなので、いつも単品を頼む。
たっぷりとふかひれの入ったラーメンは、
お勧めで二人でシェアして、ほかの料理も注文する。

お昼は10食のみの日替わりランチコースを楽しみに行く。
勿論シーズン中は早く行かないとなくなってしまう。

前菜

座りが苦手の私たちは、昼はテラス席で頂きます。

えび


お店は,長坂の<3分一湧水>前の踏切を越えたところ。
別荘の中の一軒、という感じ。

「照坊ず」

http://r.gnavi.co.jp/mczybkjj0000/


今までにも洒落ていて美味しいレストランやパン屋さん、
お蕎麦屋さん、ピザ屋さんと御馴染みが沢山できたけど、
思い出深いお店の一つです。
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暑さから逃れて、山小屋へ行ってきました。
悩まされる腰痛が少しでも良くなるように、近くの温泉に
朝晩通って少しは楽になったかな?

でも、今回はもう一つ大事な役目が…。

長い間、使用した山小屋を閉鎖する為、家財の整理という大仕事。

小さいながらも30年間使う内に、何やかやと家財は増えて
結構な量に。

レンジや冷蔵庫の他にも寝具、炬燵、子供たちのスキー靴、
バーベキュー用の台などなど。

一つ一つに想い出は尽きないけれど今、処理をしなければ来年はもっとキツくなる。

パパも、もうそろそろ車の免許証を返上するつもりと。

帰りの車窓に、悲喜こもごもの想い出が、次々と蘇ってきました。

私たち夫婦の、活気あった一場面に自ら、幕を降ろしたという思いで、
寂しさの反面、ホッとしています。

さあ、年代にふさわしい新しい楽しみを探さなければ!

その前に、先ずは腰の痛さを克服しなければ(^_^;)です。


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戦後の食料の乏しいときに、父が人を介してPXで仕入れた?一抱えもある大きな缶(子供心にはそう思ってたけど)
今考えると、粉ミルクの大缶ぐらいかしらね。
それにびっしりと詰まった濃い橙色のチーズ
カレー用のスプーンですくっては食べさせられたことを思い出し、何と言うチーズだったのか知りたいと、最近思っていた。
私をはじめ、育ち盛りの4人の子供達の発育を心配した親心だったんでしょう

今朝、お仲間のブログを訪ねたら、<ミモレットチーズ>って、写真と一緒に。
これだ~!って明治屋に飛んでいって探したらありました~。

帰って早速、お味見。
コレコレ!確かにこの味でした!
チーズ 006

懐かしいなあ。
他のチーズとは違う味って、からすみの味だったんだ。
だから、姉弟そろって、アルコール好きになった?

亡き両親の残してくれた想い出に、ちょっぴりウルウル。


でも、結構高価な品なんで、びっくり。

今夜は、久しぶりに、ワインを開けて、
主人に買ってもらった?「母の日のレタス」と一緒に古い昔をしのびましょう。
チーズ 001


それにしても、昔のことばかり思い出すってちょっと変?
思い立つと、即、行動に移したがるのも高齢者の特徴?
その時用の写真をパチパチ撮って、娘に「いい加減にしなさい」と叱られる。

古希症候群はいつ迄続くのやら。ヤレヤレ。


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音譜 わかります~?この言葉。


dannaはちんぷんかんぷんだったけど


それなりに歳を重ねた女性なら、分かると思うんだけど?多分。


私が、ゴ幼少のみぎり?に流行った まりつき歌(数え歌)の一節です。

わが妹たちでも憶えていないかもね

続きを思い出せず、どうしても知りたい人は、ご一報を。
~と言っても、途中までですが…。


それと、もうひとつ。
同じ頃に流行った歌。

<一かけ、二かけて、三かけて、四かけて五かけて橋を掛け…音譜

「せっせっせ」をしながら歌います。

西郷さんの娘が出てきて、お墓参りして、

ジャンケンポンぐーチョキわかったでおわり (*^▽^*)


童謡歌集なんかには絶対に出てこない、

世相を反映している庶民の歌。

祖母から母へ、そして私たちにと受け継がれてきたのでしょうね。


「ああ~歌った記憶あるよ~」とか、

「聞いたことあるよな~」
と言う方がいたら嬉しいな。


私の年代が最後かと思うと、ちょっと寂しいので。


こんなこと想い出すのも、大台に乗ったショックかも。あせる



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今月の自治会報が届いた。


記事の中に、ー戦争を語り継ぐーという1面が。


満州から引き上げてこられたご婦人の記録。


夫は、招集され、3歳の男子と身重の身体で、

外地で、終戦を迎えられた。

丁度、母の年齢ぐらいか。


引き上げまでのご苦労は、想像に絶する。


戦後62年、今年もこの日が近づいた。


第二次世界大戦を語り継ぐ人も
年々少なくなっていく。


この方に比べれば、親の庇護の元で受けた

体験など、語るほどのことでもないかと

思ってきたけれど。


就学前の子供の記憶なんて

ほんとに僅かであるし・・。


でも、戦争を語れる最後の年代かもしれない。

戦争を知らない人たちに、

私の忘れられない体験のひとコマを
書き留めておこうと思った。



私たち一家 父母と幼児3人は
千葉に住んでいた。


戦局がだんだん厳しくなってきて
父にも召集令状が来た。


30代半ばの父に赤紙が来るようでは
終戦間近だったのだろう


母は3人の女の子を連れて
空襲を避けて岐阜に疎開した。


自分の実家近くの借家に住んだ。

ところが、皮肉なことに、そこで被災したのだ。


運び込んだ家財道具諸共
焼け出された。


千葉の家は無事だったのに。


その夜、風邪で熱のある母を中心に
ぐっすりと寝入っていた夜中。


蚊帳を吊っていたから夏だったのね。


けたたましいサイレンの音に飛び起きた。


天井から下がる、黒布で囲った電灯も消えて真っ暗闇。


母は手探りで末の妹を背負い、
両手に二人の子供の手を引いて
家を飛び出した。


私の手には、いつも枕元において寝たワラジが
しっかり握られていたのを、思い出す。


玄関の外で、お隣の遊び友達のお姉ちゃんが

大声で泣いて、母親に叱られていたなあ。
「00ちゃんを見なさい!
あんたより小さくても、泣いてなんかいないでしょ!」


その子は一人っ子だった。

別れを告げた覚えもなく、それっきり会ったこともない。



外は、遠くに落ちる焼夷弾の明かりで、昼間の様な明るさ。



「橋が落ちるぞー!」
どこの橋か分からないが、そんなどなり声が飛び交っていた。



燃えている両側の家の炎が頬に熱い。

妹はそれが嬉しいと、母の背で、
「ホッホッ」とはねていたっけ。


ガラガラガラガラ!
男手のある家では、家財道具を、
積んだリヤカーを引いて逃げる。


車輪に轢かれたら大変なので、走ることもできない。

唯、阿鼻叫喚の中、人波に押されるように、

親子4人は必死で橋を渡った。


そこは、ひろーい農場のようなところ。

周りを囲む植え込みの陰に母と3人の子供は
寄り添って、うずくまった。


わたしの防空頭巾に降り掛かる火の粉を

払いながら母が言った。

「死ぬときは みんな一緒だから。いいね」

その顔をじっと見あげながら「うん」と
頷いたことを鮮明に憶えている。


不思議と恐怖感はなかった。


今思うに、私が日ごろは用心深いくせに、
妙に、諦めのいい性格の原点はここにあったのかも?


そのシーンがあまりにも強烈なせいか
その後のことを全然覚えていない。


数日後(数十日後?)、

父の実家の門前で遊んでいるとき
リュックを背負った大きな父が

ゆっくり近づいてきた時の声にならない喜び。


下の妹の か細い足を撫でながら、
「俺が帰ってきたから、もう大丈夫だ」と
つぶやいていた父の言葉が、

すごく力強く感じたことなどが

断片的に浮かんでくる。


68歳で逝った母とふたりで、生前、何度この
思い出話をしたことか。


死線をみんなで乗り越えられたことに
いつも感謝で涙しながら。


戦後生まれた弟はもちろん、妹たちにも
これだけの記憶はない。


父に頼りきりの気弱なお母さんだと映っていたのかも。


でも、私だけはわかっている。


今の平和な世の中で、私たちがどんなに偉そうなことを言っても

戦火の中、3人の幼児を必死で守ったあの日の母の強さには
到底及びもつかないことを。


この、ご婦人においておや!である。


孫にも、子孫にも、あんな思いは
させたくない。


世界から、戦争のなくなる日が来てくれることを、
そして、日本の平和がいつまでも続くことを
心から祈るのみです。           合掌




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